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前橋地方裁判所 昭和63年(ワ)247号 判決

原告

株式会社宮子清掃警備緑化工業

右代表者代表取締役

堀川千恵

右訴訟代理人弁護士

高橋盾生

戸所仁治

右訴訟復代理人弁護士

新井泰弘

被告

井上勝太

井上利夫

金子忠夫

右三名訴訟代理人弁護士

角田義一

出牛徹郎

高野典子

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して、金一億〇三五五万〇一四六円及びうち金五六一〇万八五〇八円に対する昭和六三年七月一二日から、うち金四七五四万一六三八円に対する平成元年一一月一五日から、いずれもその支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、原告の取締役であった被告らが竸業会社を作って原告従業員を引き抜き、オートレース場警備業務等の取引先を奪ったとして、原告が被告らに対し、取締役の忠実義務違反及び竸業避止義務違反を理由として、損害賠償を求めた事案である。

一  当事者(争いのない事実)

1  原告(以下「原告会社」ともいう。)は、伊勢崎オートレース場の清掃と警備等を請け負うことを目的として、同レース場の敷地提供者を出資者として、地権者の中から発起人を選任し、昭和五一年三月一八日に設立された会社であり、設立された後は、同レース場の清掃と警備業務を中心として、その他に群馬県小型自動車競走会への救護員の派遣、同レース場の売店、食堂、市民体育館、伊勢崎市公設地方卸売市場、伊勢崎佐波職業訓練校の各清掃、株式会社関東興産(同レース場の施設の管理会社)の発注する清掃業務、土建会社の道路工事現場の交通警備等の業務を行っていた。

2  被告井上利夫及び同井上勝太は原告会社設立からの取締役であり、被告井上勝太は、昭和五七年五月三一日以降代表取締役をつとめている。被告金子忠夫は原告会社設立以降監査役をつとめていたが、昭和五三年四月三〇日からは取締役となった。

二  当事者の主張

1  原告(請求原因)

(一) 被告らの乗っ取り行為

(1) 被告らは、いずれも、原告会社在任中、原告会社の受注する清掃警備業務を乗っ取ることを計画し、昭和六一年七月頃、ほか数名の者とともに、二台の乗用車に分乗して荒山に遊山した際、右計画を右数名の者に打ち明けた。

(2) 被告井上利夫は、昭和六一年秋頃、同人の所有する宮子町の土地の上にプレハブの建物を建築し、計画の準備を行った。

(3) 被告金子忠夫は、昭和六二年二月頃、伊勢崎オートレース場内の、原告会社警備員詰め所等において、原告会社から引き抜き、後に設立する竸業会社で採用する時に備え、警備員の簿冊や名札に使用する写真に使用するため、原告会社警備員の上半身等を撮影したり、制服及び靴の寸法を測定するなどした。

(4) 被告らは、八木茂太、井上源一、根岸次雄(いずれも原告会社従業員)、小暮一、被告金子忠夫の妻金子多与子らを名目上の発起人として、昭和六二年二月二〇日、定款を作成し、同月二一日、認証を受けたうえ、同月二六日、原告会社と同一目的を有する都市管理株式会社(以下「訴外会社」という。)を設立させ、八木茂太をその代表取締役に、井上源一、根岸次雄を取締役に、小暮一を監査役にそれぞれ就任させた。

(5) 被告金子忠夫は、昭和六二年三月四日、群馬県公安委員会に対し、自らを警備員指導教育責任者として、訴外会社の警備業認定申請を行った。

(6) 被告金子忠夫は、昭和六二年三月上旬、被告井上利夫も、同月二四日、原告会社に対し、取締役の辞任承認願いを提出した。原告会社は、同月九日、被告金子忠夫を暫くの間休職扱いとする旨の取締役会決議を行い、翌一〇日、同人に通知した。ところが、被告井上勝太は、同月一三日、被告金子忠夫から瀬川勝美に警備員指導教育責任者を変更する旨の変更届出書を群馬県公安委員会に提出する一方、同月二七日、取締役会も開催しないまま、被告金子忠夫らが同月二四日付けで取締役を辞任した旨の登記を無断でしてしまった。

(7) 被告らは、昭和六二年三月二五日頃、発起人小暮一の妹の嫁ぎ先である前橋市西善町の「なかむらや」に、原告会社の警備正副分隊長らを集めて、被告らの計画に協力するよう説得し、正副分隊長らに退職届を作成させた。

(8) 被告らは、昭和六二年三月二七日、群馬県利根郡水上町の「ホテル大宮」に、原告会社警備員六〇名を宿泊させ、同人らに、同月二六日付けの退職届を作成させるとともに、欠席者については、退職届を偽造した後、説得を行って、二名を除き、その余の原告会社従業員全てを一斉に退職させる一方、その者たちを訴外会社に入社させた。

(9) 被告井上利夫は、昭和六二年三月二八日、井上源一らとともに、訴外会社の設立趣意書を持って、原告会社の株主宅を訪れ、訴外会社の設立に賛同する旨の署名捺印を求めて歩いた。

(10) 被告井上勝太は、昭和六二年三月三一日、原告会社の代表取締役である堀川千恵のもとを訪れ、「警備員全員が、訴外会社に取られてしまったので、四月二日から始るオートレース場の警備ができない、レース場の警備の辞退届を提出しておかなければ、多額の損害賠償を取られる。」などと申し向け、被告井上勝太と連名のレース場清掃警備業務の伊勢崎市長宛辞退届を作成させたうえ、伊勢崎市に対し、右文書を提出するとともに、伊勢崎市公設地方卸売市場、伊勢崎佐波職業訓練校、株式会社関東興産に対しても、清掃警備業務を辞退する旨及び訴外会社を宜しく願う旨記載した文書を提出し、昭和六二年四月一日以降のそれら清掃警備業務全てを訴外会社に移行させてしまった。

(11) 被告井上利夫、同金子忠夫は、昭和六二年四月一日、訴外会社の取締役に就任した。

(12) 被告井上勝太は、昭和六二年四月六日、群馬県公安委員会に対し、原告会社の廃業届を出し、その際、右廃業届の添付書類に、同年三月三〇日に開催された取締役会と株主総会で原告会社の廃業が決議された旨記載したが、取締役会や株主総会が開かれたことはなく、廃業が決議されたこともなかった。

(13) 被告井上勝太は、昭和六二年四月頃、原告会社が「都市管理株式会社」と社名を変更した旨警備業協会に申告した。

(14) 被告井上勝太は、昭和六二年五月一〇日、原告会社の代表取締役を、同月一四日、取締役をそれぞれ辞任した後、同年九月三〇日、訴外会社の取締役に就任し、「会長」と称してその業務を行っている。

(二) 被告らの責任

被告らの右違法行為は、原告会社の取締役としての忠実義務並びに竸業避止義務に違反するから、被告らは、右違法行為により原告会社が被った損害を賠償すべき義務がある。

(三) 損害

(1) 原告会社は、昭和五七年四月一日から昭和六二年三月三一日までの間(第八期ないし第一二期)、左記のとおりの年間売上げと営業利益を計上し、年平均二三六〇万三一八七円の利益を計上してきた。

決算年度  年間売上げ 営業利益

第八期 一億五四九三万九八八一円

二二三〇万七三一九円

第九期 一億七一六九万四七六〇円

二三六七万四六〇三円

第一〇期 一億七六一八万一六八九円

二一六二万二一一一円

第一一期 一億八八五一万九九八一円

二七〇〇万七八三七円

第一二期 二億〇一七六万八六三七円

二三四〇万四〇六七円

(2) ところが、訴外会社に前記業務を奪われた結果、原告会社の第一三期(昭和六二年四月一日から昭和六三年三月三一日までの決算期)の売上げは、九八二万四五五七円で、営業利益は、三二五〇万五三二一円の欠損、第一四期の売上げは四七一二万〇一一三円、営業利益は、二三九三万八四五一円の損失となった。

したがって、被告ら三名の違法行為による損害は、第一三期が、訴外会社に前記業務を奪われる前の五年間の一年間の平均利益である二三六〇万三一八七円と同期の欠損額である三二五〇万五三二一円を合計した五六一〇万八五〇八円、第一四期が、前記二三六〇万三一八七円と同期の損失額である二三九三万八四五一円を合計した四七五四万一六三八円であり、右両期の損害額を合計した一億〇三六五万〇一四六円である。

(四) よって、原告会社は、被告ら三名に対し、取締役としての忠実義務並びに竸業避止義務違反に基づく損害賠償請求として各自一億〇三五五万〇一四六円並びにうち五六一〇万八五〇八円に対する訴状送達の日の翌日である昭和六三年七月一二日から、うち四七五四万一六三八円に対する請求の趣旨拡張の準備書面送達の日の翌日である平成元年一一月一五日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告(請求原因の認否及び被告の主張)

(一) 被告らの乗っ取り行為(請求原因(一))について

(1) 請求原因(一)(1)の事実のうち、被告らが、過去に荒山に遊山したことがあることは認め、その余は否認する。

(2) 同(2)の事実のうち、被告井上利夫が、昭和六一年秋頃、同人の所有する宮子町の土地の上にプレハブの建物を建築したことは認め、その余は否認する。

(3) 同(3)の事実は否認する。

(4)① 同(4)の事実のうち、八木茂太、井上源一、根岸次雄、小暮一が発起人となり、昭和六二年二月二六日、訴外会社を設立したこと、八木茂太が代表取締役に、井上源一、根岸次雄が取締役、小暮一が監査役に就任したことは認め、その余は否認する。

②訴外会社設立の経緯

訴外会社設立の経緯は次のとおりである。

株式会社かね光興業(代表取締役斎藤兼光)は、伊勢崎市宮子町にレジャー・スポーツ施設(「(仮称)伊勢崎健康ランド」)を建設することを計画し(以下、この計画を「伊勢崎健康ランド建設計画」ともいう。)、昭和六一年八月二六日頃、宮子集会所で打合せ会を開催した後、地権者との用地買収交渉等着々と準備を進めていた。同計画については、計画予定地の中に、区画整理事業で既に仮換地がされた土地や計画道路が存在することなどの問題もあったが、この問題は、伊勢崎市、区画整理組合、かね光興業、群馬県の四者間の協議の結果、伊勢崎市と群馬県が計画道路の撤去を許可するまでに至り、解決した。同計画では、鉄筋コンクリート三階建てビルの建設が予定されており、ビル管理、ビル警備等の業務需要が見込まれていた。そこで、原告会社従業員の八木茂太、井上源一、根岸次雄は、原告会社を定年退職する者の再就職先として、訴外会社の設立を計画し、その結果、同年二月二六日、訴外会社が設立された。ところが、八木茂太らの目論見にもかかわらず、かね光興業は、用地買収費用が予想外に増大したこと等予算上の理由から、同年九月頃、右計画を白紙撤回してしまい、そのため、同計画は頓挫してしまった。

右のとおりであって、訴外会社は、被告らによって設立されたものではない。

(5) 同(5)の事実は認める。

(6)① 同(6)の事実のうち、被告金子忠夫が取締役の辞任届を提出したこと、被告井上利夫が同月二四日辞任届を提出したこと、原告会社が同月九日取締役会を開催したこと、被告井上勝太が、同月一三日被告金子忠夫から瀬川勝美に警備員指導教育責任者を変更する旨の変更届出書を群馬県公安委員会に提出したこと、同月二七日取締役会を開催しなかったこと、被告金子忠夫と同井上利夫の取締役辞任登記手続をしたことは認めるが、その余は否認する。

② 被告金子忠夫は、同年二月二五日、堀川千恵と被告井上勝太に対し、辞意を表明していたが、被告井上勝太から書面にするように言われ、同年三月二日、事後的に辞表を提出したに過ぎない。原告会社で、同月九日、開催された取締役会は定例のもので、被告金子忠夫の辞任問題を審議するため開かれたものではなく、実際に同人の辞任問題が審議されたことはない。

(7) 同(7)の事実は否認する。

(8)① 同(8)の事実は否認する。

② 原告会社警備員らの退職の経緯

原告会社警備員らが原告会社を退職し、訴外会社に入社した経緯は、次のとおりである。

原告会社従業員は、最も信頼し、統括指令の職にあった被告金子忠夫が昭和六二年二月二五日に突然会社を退職したことで、大きく動揺していたところ、名目だけの社長で実質的には原告会社の業務に全くタッチしていない堀川千恵の代りに社長のなすべき業務を肩代わりしていた被告井上利夫までもが、被告金子忠夫に引き続き、同年三月二四日、原告会社を退職したことで、更に大きく動揺した。

大半の原告会社従業員は、残った斎藤宏、瀬川勝美の両常務取締役が信頼できず、名目上だけの社長である堀川千恵と原告会社の横暴で事実上の支配者であった堀川栄一の下で働くことに嫌気がさしたことから、被告井上利夫が退職した三月二四日から同月二六日にかけて、他の従業員にも働きかけて、一斉に退職届を作成した。

原告会社従業員は、同月二七日、ホテル大宮で開かれた送別、慰労会に参加したところ(右宴会は、被告金子忠夫や被告井上利夫の退職を知った警備員らが、右両名の慰労会を計画したところ、右計画を知った同人らが世話になった自分たちの方こそお礼の意味で慰労会を催したいとして、警備員らを招待したものである。)、ホテルへ向かうバスの中で、被告井上利夫から、被告金子忠夫とともに訴外会社に入社したことを聞いて、自分たちも右両名とともに訴外会社で働きたいと言い出した。

ホテル大宮での宴会は、大いに盛り上がり、伊勢崎オートレース場の清掃警備業務を、原告会社に代わって訴外会社が受注すればよいなどという原告会社従業員らの声が自然に多くなった。

八木茂太は、原告会社従業員の大半が退職届の文書を揃え、被告金子忠夫や同井上利夫とともに、訴外会社へ入社したがっているとの経緯を聞き、訴外会社の他の役員と相談のうえ、被告金子忠夫らが株主に対する責任や多数の従業員数に見合う仕事を受注する責任を負うなら、同人らに訴外会社を委ねるとして、代表取締役を辞任した。そして、訴外会社の代表取締役に、被告井上利夫が代って就任し、原告会社従業員は訴外会社に入社することとなった。

(9) 同(9)の事実のうち、被告井上利夫、井上源一らが、昭和六二年三月二八日、原告会社の株主宅を訪れたことは認め、その余は否認する。被告井上利夫らが原告会社の株主宅を訪れる際に所持していたものは、単なる趣意書と題する文書である。

(10) 同(10)の事実のうち、被告井上勝太が、昭和六二年三月三一日、原告会社の代表者として伊勢崎市公設卸売市場など三か所に対し原告会社が清掃警備業務を辞退すること並びに訴外会社を宜しく願う旨を記載した文書を提出したことを認め、その余は否認する。原告会社が業務を辞退したのは、同日早朝、堀川栄一が、原告会社と訴外会社の問題について善処するよう伊勢崎市助役から依頼されていたオートレース場地権者代表井田治太郎宅を訪れて、口頭で辞退の意を申し入れたことに基づくものであり、形式上の処理として、公設市場等との契約についての原告会社代表であった被告井上勝太が辞退に関する文書を提出したものである。

(11) 同(11)の事実は認める。

(12) 同(12)の事実は認める。

(13) 同(13)の事実のうち、被告井上勝太が原告会社の社名変更手続を取ったことは認め、その余は否認する。

(14) 同(14)の事実は認める。

(二) 被告らの責任(請求原因(二))について

(1) 請求原因(二)の事実は、否認ないし争う。

(2) 被告らが原告会社の取締役を辞任したのは、被告金子忠夫が昭和六二年二月二五日、被告井上利夫が同年三月二四日、被告井上勝太が同年五月一四日であり、被告らはいずれも右辞任後に訴外会社に入社したに過ぎないから、竸業避止義務違反の責任を問われるいわれはない。

被告ら三名が取締役を辞任した理由は、概ね、堀川栄一が、原告会社の経営に介入してその私物化を図り、地元への利益還元という公益的目的に基づき設立された原告会社の設立趣旨に反するような言動を繰り返してきたことに抗議するということにある。

(三) 損害(請求原因(三))について

(1) 請求原因(三)(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実は否認する。

(3) 原告会社が伊勢崎オートレース場の清掃警備業務を受注できなかったのは、堀川栄一が、原告会社の警備員の相当数が退職し、右清掃警備業務を円滑に遂行することが困難となる事態が生じたことを受けて清掃警備業務を辞退することに決めてしまったことによるものであって、原告会社は、自ら右清掃警備業務を辞退したのである。原告会社らが主張する損害は、右業務辞退によるものであるから、被告ら三名や訴外会社になんら帰責されるべき筋合いのものではない。

また、原告会社が損失を被ったのは、警備員の退職後相当期間内に警備員を補充するなどしてその態勢を建て直すことが可能であったにもかかわらず、その努力を怠り、また、昭和六二年度に警備業務等を受注した訴外会社に対抗して、自由競争原理の下で経営努力を尽くして利益をあげるべきであるにもかかわらず、その努力を尽くさなかったためである。

三  争点

本件の主たる争点は、被告らの違法行為の存否(被告らが、訴外会社を作って原告会社警備員を引き抜き、伊勢崎オートレース場警備清掃業務等の取引先を奪ったかどうか)、原告会社の損害の有無及び額である。

第三  争点に対する判断

一  前提となる事実関係

争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実は、以下のとおりである。

1  原告会社設立の経緯

(一) 伊勢崎オート地権者会(井田治太郎会長)は、オートレース場の宮子町への誘致に協力した見返りとして、伊勢崎市から同レース場の警備清掃業務を地権者関係者に発注する旨の口約を得、その受皿として原告会社の設立を計画し、設立準備委員会(委員長被告井上利夫。同被告は、当時、地権者会副会長であった。)を設けたが、伊勢崎市議会の有力議員も右警備清掃業務の受注を目指しており、同市議との調整がうまくゆかなかったことから、先行きが危ぶまれていた。そこで、堀川栄一が、同市議との調整に乗り出し、同市議を原告会社の顧問として迎えることで同人の協力を取り付け、株式募集に踏み切った。しかしながら、地権者の中にはいまだ不安を抱く者も多く、一般地権者から株式引受けが思うように得られなかった。そのため、引受けのなかった株式のうち、堀川栄一が三三五株、被告井上勝太が一八八株を引き受け、これにより、昭和五一年三月一八日、掘川栄一を代表取締役として原告会社が設立された。原告会社は、同年八月一八日、伊勢崎市と警備委託契約を締結し、伊勢崎オートレース場のオートレース開催日の観覧席等の非管理地域の警備業務等を請け負うこととなった(甲五一、五八、六二、六三、六四、六五、六六、乙四の二、五ないし一〇、六の二)。

原告会社の事務所は、昭和五六年九月頃まで、堀川栄一の経営する建設会社の事務所内にあった(甲五一)。

(二) 堀川栄一は、昭和五三年四月三〇日、代表取締役を退き、昭和五四年三月二六日、市議会議員選挙に立候補するため、取締役を辞任した。被告井上利夫は、堀川栄一の後を継いで代表取締役に就任し、昭和五七年五月三一日までその職にあったが、被告井上勝太がその後を継いで代表取締役となった。被告金子忠夫は、設立時は監査役であったが、昭和五三年四月三〇日、監査役を辞して取締役となった。堀川千恵は、昭和五四年一二月九日、取締役に就任し、昭和五九年五月三一日、代表取締役に加わった(争いのない事実)。

(三) 原告会社では、堀川千恵が社長となったが、主に警備員の給与計算、日報の整理等の事務を行うのみで、被告井上勝太が会長として経理関係や、市当局との交渉、警備会社同士の話合い等の渉外関係の責任者を、被告金子忠夫が専務として警備員の指導教育、オートレース場における警備業務の総括指令等警備関係の責任者を、被告井上利夫が相談役(後に参与)として業務全般の統括責任者をしていた(被告井上勝太本人)。

2  被告らと堀川栄一との軋轢

被告らは、堀川栄一が取締役を退いた後も、取締役会や株主総会に出席するなどして原告会社の運営について意見を述べたりすることや、堀川千恵が代表取締役社長となったことや、堀川千恵が取締役会等において堀川栄一の意向を反映しようとすること、被告井上利夫が相談役から参与となったことなどについて、堀川栄一がその発行済株式総数の四分の一を超える持株数を背景として原告会社の運営に干渉し過ぎていると不満を抱いていた(被告金子忠夫、同井上利夫、同井上勝太各本人)。

被告らは、昭和六一年七月下旬頃、井田治太郎らと赤城山の荒山に登った際、同人に右不満とともに堀川栄一とは一緒にやれないなどと漏らし、同人から諌められたこともあった(乙七の二、証人井田治太郎)。

3  訴外会社の設立

(一) 訴外会社は、昭和六二年二月二六日、設立された(争いのない事実)。

(二) 発起人の構成

発起人は、八木茂太、井上源一、根岸次雄、金子多与子、小暮一、八木豊明、小林栄で、その他、井上和彦、岡本芳巳が株式を引き受け、八木茂太が代表取締役、井上源一、根岸次雄が取締役、小暮一が監査役に就任した(争いのない事実、甲四七の二、被告井上利夫本人、弁論の全趣旨)。

八木茂太、井上源一、根岸次雄ら訴外会社の取締役(以下「八木茂太ら取締役」という。)は、原告会社では警備員の職にあり、被告ら、とりわけ統括指令として警備員をとりしきる被告金子忠夫の部下であった。また、金子多与子は被告金子忠夫の妻、八木豊明は被告金子忠夫の友人、井上和彦は被告井上利夫の娘婿、岡本芳巳は被告井上勝太の甥であった(争いのない事実、被告金子忠夫、同井上利夫、同井上勝太各本人)。

(三) 訴外会社の設備

訴外会社は、被告井上利夫が昭和六一年秋頃自己の土地の上に建てたプレハブを事務所とし、被告井上勝太の妻である井上久江が代表取締役、金子多与子が取締役を勤める株式会社ケイテーサービスから、同年三月三日、電話を譲り受け、警備業認定申請の際の連絡先とした(争いのない事実、甲四七の一)。

4  伊勢崎健康ランド建設計画の進捗状況

栃木県塩谷郡に本店をおく株式会社かね光(代表取締役斎藤兼光)が会社(株式会社かね光興業)を設立して伊勢崎市宮子町にレジャー・スポーツ施設(「(仮称)伊勢崎健康ランド」)を建設するという計画(「伊勢崎健康ランド建設計画」)が、昭和六一年七月頃、同町を担当する伊勢崎市西部第三土地区画整理組合に持ち込まれ、かね光から土地区画整理計画の一部変更を申し出られ、同区画整理組合で検討事項とされたことがあり、同六二年二月頃には、建設用地として必要な土地のうちのかなりの割合にあたる土地を提供しようという企業もあらわれたが、右企業誘致を行うには土地区画整理計画の見直しや道路計画、水路計画等の変更が必要という考えが強く、それらはいまだ着手されていなかった。結局、右計画は、用地を提供しようとする企業との間で土地買収金額が折り合わなかったので、周辺の土地についても買収もなされないままに終わり、かね光興業も設立されずに終わった(乙一、二、一二の二、証人井田治太郎、被告金子忠夫本人)。

5  訴外会社の警備業認定申請

訴外会社は、警備業務を行う際の警備員の夏、冬の制服、制帽、制服の左胸や左袖、制帽に付けられる標章見本を用意して、昭和六二年三月四日、群馬県公安委員会に対し、警備業認定申請書と服装届出書(八木茂太が実際に制服や制帽を身に纏った時の状況の写真のモデルをしている。)とを提出し、右手続を被告金子忠夫が訴外会社代表取締役八木茂太名義で行った(争いのない事実、甲四七の一、七〇)。

6  訴外会社の警備員募集状況

訴外会社は、警備業認定申請を行ったものの、原告会社警備員が集団入社するまでの間、警備員募集を行っていなかった(弁論の全趣旨)。

7  被告金子忠夫の行動

被告金子忠夫は、昭和六二年三月四日、訴外会社の警備業認定申請手続を行ったが、その際、警備業法によれば、事務所ごとに専属の警備員指導教育責任者を置くことを要するところ、自らを訴外会社の警備員指導教育責任者としたが、同被告は、当時、原告会社の警備員指導教育責任者として届け出がされていた(争いのない事実、甲四八の一)。

被告金子忠夫は、警備業認定申請書添付の履歴書に、原告会社の取締役である旨記載した(甲四七の二六)。

被告金子忠夫は、同月五日、警備業認定申請書の提出窓口である伊勢崎警察署防犯課に指摘され、同年二月原告会社を退社し訴外会社に入社した旨の記載に訂正した(甲四七の二六、被告金子忠夫本人)。

被告金子忠夫は、同月三日頃まで、原告会社で、業務日報を記載し、常務として決済を行っていたが、同月四、五日頃、被告井上勝太に対し、「取締役を辞任退職したいので承認願いたい。」旨の辞任届を提出した(甲一一、五二、六九、原告代表者)。

被告金子忠夫は、原告会社退社の理由、退社後の身の振り方を明らかにしなかった。そのため、原告会社警備員らの間では、被告金子忠夫が伊勢崎市議会選挙に出馬するため、原告会社を退社するのではないかという噂があった(甲五七、証人菊池六郎)。

8  八木茂太ら取締役の行動

八木茂太ら取締役は、警備業認定申請書添付の履歴書に、原告会社の社員である旨記載していたが、被告金子忠夫と同様、伊勢崎警察署防犯課の指摘で、昭和六二年二月原告会社を退社し訴外会社の取締役に就任した旨の記載に訂正した(争いのない事実、甲四七の四、九、一四、弁論の全趣旨)。

しかしながら、八木茂太ら取締役は、同人らのうち八木茂太、根岸次雄が、同年三月二六日付退職届を提出しただけで、それ以外に原告会社に対して退職の意思を表示したことはなく、また、井上源一と八木茂太が数日欠勤しただけで、同月中に行われた伊勢崎オートレース開催日の警備にほとんど出勤した(甲六九、弁論の全趣旨)。

八木茂太ら取締役は、被告井上利夫や被告金子忠夫の決意を聞いて、原告会社を退社し、訴外会社に入社することにしたので理解してほしいなどと記載された原告会社従業員一同名義の要望書に、警備員として署名指印した(乙一八)。

八木茂太は、同年四月二日から開催されるオートレースに備え、同月一日に開かれた分隊編制会議で本部詰めとなり、根岸次雄は平隊員となった(乙二五)。

9  被告井上利夫の辞表提出

被告井上利夫は、昭和六二年三月二四日、原告会社取締役の辞任届を被告井上勝太と堀川千恵にそれぞれ提出した(争いのない事実)。

10  訴外会社の警備業認定

訴外会社は、昭和六二年三月二五日付けで警備業認定を受け、翌二六日右通知を受けた(乙二六、被告金子忠夫本人)。

11  被告井上勝太の行動

被告井上勝太は、被告金子忠夫について、慰留が功を奏さなかったことから、原告会社で、昭和六二年三月九日頃、取締役会を開催して休職扱いとしていたところ、同月一一日、同人の退職を理由として警備員指導教育責任者を同人から瀬川勝美に変更する旨の変更届出書を、群馬県公安委員会に提出した(甲四八の一ないし九、証人堀川栄一、被告井上勝太本人、原告代表者)。

また、同月二七日、被告井上利夫と同金子忠夫が同月二四日取締役を辞任した旨の登記手続をした(争いのない事実)。

12  ホテル大宮での会合

被告金子忠夫は、「金子産業」という名前で手配した群馬県利根郡水上町の水上温泉「ホテル大宮」に、昭和六二年三月二七日、原告会社警備員ら六三名を集めた(乙三四、被告金子忠夫本人)。

原告会社警備員らは、当日、被告金子忠夫所有の駐車場に集まり、同人が手配したバスで、ホテルに集合した。右会合には、被告ら三名のほか、訴外会社の役員であった八木茂太や、原告会社従業員ではなかったが、小林栄や小暮一らが参加していた(証人菊池六郎、被告金子忠夫、同井上勝太各本人)。

右会合では、宴会だけでなく、到着後と翌二八日朝食後に会議が予定されており、現実に開催された会議では、右会合の後、原告会社警備員が訴外会社に入社し、被告金子忠夫、被告井上利夫を中心に、原告会社が市から受注していた伊勢崎オートレース場の警備清掃業務を奪って原告会社の代りに受注することが合意された(乙三四、証人菊池六郎)。

被告金子忠夫は、原告会社警備員から会費等の金銭を徴収せず、右会合の費用五八万七一〇九円を負担したが、領収書は訴外会社名義で切り、後に訴外会社から同額を受け取った(甲一六の一ないし三、被告金子忠夫本人)。

13  趣意書、要望書の提出

被告井上利夫は、昭和六二年三月二八日、原告会社が堀川栄一により私物化されているため、原告会社にかわるものとして訴外会社を設立したなどと訴外会社設立の趣意を記載した趣意書を作成し、井上源一、中島春雄や井上金司らとともに、右趣意書を携えて、原告会社の株主宅などを訪れ、賛同印を集めて回った。その際、訴外会社と原告会社との関係を、原告会社から訴外会社へ名義を変更するという説明をした者もあった(甲一八、五六、六四、六五、証人瀬川勝美、被告井上利夫本人)。

また、原告会社警備員編制で分隊長であった阿久津亨は、被告金子忠夫に言われ、前記要望書を作成し、菊池六郎らと整備員宅をまわるなどして、原告会社警備員ら八〇人から署名を集め(一名が署名捺印、その他は署名指印)、同月三〇日朝、菊池六郎と共に、伊勢崎オート地権者会会長であった井田治太郎に提出した(乙一八、証人菊池六郎、同井田治太郎)。

14  被告井上利夫、被告金子忠夫の取締役就任

訴外会社は、同年四月一日、三月三〇日付けで、被告井上利夫及び同金子忠夫が取締役に就任し、八木茂太が代表取締役を辞任、代って被告井上利夫が代表取締役に就任した旨の登記手続をした(争いのない事実)。

15  原告会社警備員らの退職届

原告会社警備員らは、要望書とは別に、昭和六二年三月二六日付け退職届を作成したが、同人らが退職意思を表明しているのが明らかになったのは、ホテル大宮での会合の後であり、右会合前に、原告会社に対し、退職の意思を表明したものはいなかった(甲一七の一ないし八四、弁論の全趣旨)。

右退職届は、同一人によって記載された文面を複写して警備員らそれぞれが署名する形式を取っているところ、その元の文面の筆跡は被告金子忠夫の筆跡と極めて類似している。また、印鑑が押捺されているのは、八四通のうち二通に過ぎず、残りはすべて指印となっている(甲一七の一ないし八四)。

16  原告会社の業務受注辞退

堀川千恵ら原告会社の役員や堀川栄一は、被告金子忠夫や被告井上利夫らが原告会社株主のもとを趣意書をもってまわったことを知って、対応を考慮していたが、被告井上勝太から原告会社警備員らのほとんどが退職してしまったと聞き、昭和六二年度の伊勢崎オートレース場の警備清掃業務を受注することは無理だと言う結論となり、同業務の受注を辞退することとした(甲五二、五三、五五、六一、証人堀川栄一、原告代表者)。

そこで、堀川栄一は、井田治太郎から事態収拾のため原告会社の株主総会を開催するよう要請されていたが、同月三一日朝、同人に対し、「今回は辞退するから、株主総会は止めてほしい」と申し入れ、株主総会を開かないことにした(証人堀川栄一、同井田治太郎)。

17  被告井上勝太の行動

(一) 辞退書の提出

被告井上勝太は、同月三一日、伊勢崎オートレースの担当部署である伊勢崎市公営競技事務所や伊勢崎市公設地方卸売市場等の取引先を回って、次年度の清掃警備業務を辞退する旨を伝え、原告会社代表取締役名義で、清掃警備業務を辞退するとともに、今後訴外会社をよろしく頼む旨記載した辞退届を提出した(争いのない事実)。

ところが、伊勢崎オートレースを所管する公営競技事務所から同人の単独名義のものではなく、もう一人の代表取締役である堀川千恵の連名の辞退届を要求されたため、拒絶する堀川千恵に、辞退届を出すのを拒絶すると原告会社は莫大な損害賠償を払わなければならないなどと言って、同人に辞退届に捺印させ、被告井上勝太及び堀川千恵両名の代表取締役名義の辞退届を伊勢崎市長宛に提出した(被告井上勝太本人、原告代表者)。

(二) 廃業届の提出

被告井上勝太は、同年四月六日、他の原告会社役員らにはからずに、伊勢崎警察署を通じ、群馬県公安委員会に、原告会社の廃業届を提出した。同被告は、その廃止の理由として同届出書「廃止等の事由」欄に「会社解散のため」と記し、右廃業届の添付書類に、同年三月三〇日、原告会社の取締役会と株主総会が催され、原告会社の廃業が決議された旨記載した(争いのない事実)。

(三) 群馬県警備業協会に対する社名変更手続

被告井上勝太は、同年四月頃、原告会社が訴外会社に社名を変更した旨、群馬県警備業協会に申告した。群馬県の警備会社のほとんどが同警備業協会に加入しているが、訴外会社から同協会に加入する旨の申込みはなかった(争いのない事実、弁論の全趣旨)。

(四) 訴外会社取締役への就任

被告井上勝太は、同年五月一〇日、原告会社の代表取締役を、同月一四日取締役をそれぞれ辞任し、同年九月三〇日、訴外会社の取締役に就任した(争いのない事実)。

二  被告らの乗っ取り行為の存否

そこで、被告らの乗っ取り行為の存否について検討すると、前判示の諸事実、即ち、株式会社かね光の伊勢崎健康ランド建設計画の昭和六二年二月当時の進行状況は、一4「伊勢崎健康ランド建設計画の進捗状況」で認定した程度に過ぎないから、伊勢崎健康ランドの施設開業や建設着工の具体的目途は未だ立っておらず、したがって、当時、同計画に伴うビル管理、ビル警備等の雇用需要が、近々現実化する可能性があったとは到底認められず、また、右計画自体も私企業の推進する計画であって、地権者への見返り発注等が直ちに期待できるような性質のものでもないから、前記雇用需要をあてこんで訴外会社を設立したというのであれば、当面、現実に警備業を行う予定はないはずであるにもかかわらず、訴外会社は、設立後、幾日も日をおかず、警備員の制服、制帽、標章見本を製作し準備したうえで、警備業認定申請を行っていること、訴外会社の設立時の代表取締役である八木茂太や取締役に名を連ねた根岸次雄、井上源一は、原告会社の警備員として勤務していた者であり、原告会社入社後原告会社の役員や専従者として勤務した経験はなく、訴外会社が警備業認定を受けるのに必要な資格もなく、警備業の知識も乏しかったが、同人ら以外の役員、発起人や出資者も同様であって、現実に警備業を営もうとする顔ぶれとは言い難いこと、八木茂太ら訴外会社の取締役は、警備業認定申請の際に提出した履歴書に昭和六二年二月、原告会社を退社して訴外会社に入社した旨記載したが、その頃、原告会社に対し退職の意思を表示したことはなく、警備業認定申請においては同年三月中に開催されたオートレースの際の警備業務にほとんど出勤するなどしたばかりか、他の警備員とともに原告会社に対する退職届や原告会社役員の決意を聞いて原告会社を退社し訴外会社に入社することにしたので理解してほしいなどと記載された要望書に対し、他の原告会社警備員らと何ら変わりなく署名指印していることなど八木茂太、根岸次雄、井上源一について、訴外会社の実質的な経営者の行動であるとは言い難い行動をとっていること、訴外会社は、その発起人や出資者が、被告らの妻、娘婿、甥、友人や原告会社の従業員であることや、その設立当初から、事務所を被告井上利夫の所有するプレハブ建物に置き、被告井上勝太、被告金子忠夫の妻らが取締役を務める会社から電話を譲り受けるなど、被告らとその当初から密接な関係を有していること、訴外会社においては、警備員指導教育責任者として訴外会社に加わった被告金子忠夫のみが警備業経営の経験を有し、実際に警備業認定申請を行ったのは、被告金子忠夫であること、訴外会社は、警備業認定申請後警備員募集等を行わず、被告金子忠夫も退職の理由を明かさないなど、訴外会社の設立は、少なくとも一般警備員や被告ら以外の原告会社役員には知られていなかったこと、被告らと堀川栄一との間には、原告会社の運営をめぐり、軋轢が存していたが、堀川栄一が原告会社の発行済み株式総数の四分の一を超える株式を有していたため、被告らには右状況を変える有効な手立てがなかったこと、被告井上利夫は、訴外会社の警備業認定がされる前日に原告会社に対して退職届を提出し、ホテル大宮での会合の直後に訴外会社の代表取締役に就任していること、被告井上勝太は、ホテル大宮での会合の日、被告金子忠夫、同井上利夫の辞任登記手続をしていること、ホテル大宮での会合は、被告金子忠夫が準備し、原告会社警備員からは会費等の金銭を徴収せず、右会合の費用は、同被告がいったんは全額を支払ったものの、領収書は訴外会社名義で発行し、後に訴外会社から同額を受け取っていること、右会合には原告会社従業員以外の訴外会社関係者も出席していること、右会合では会議が予定されており、現実に開催された会議では、右会合の後、原告会社警備員が訴外会社に入社し、被告金子忠夫、被告井上利夫を中心に、原告会社が市から受注していた伊勢崎オートレース場の警備清掃業務を奪って原告会社の代りに受注することを目指すことが合意されたこと、ホテル大宮での会合の翌日から、被告金子忠夫、被告井上利夫を中心に、原告会社から伊勢崎オートレース場の警備清掃業務を奪うべく、原告会社株主や地権者への働きかけが始まったこと、原告会社警備員作成の退職届は、そのほとんどが指印でなされるなど、極めて簡易な形式で作成されており、しかも原案の作成に被告金子忠夫が関与している可能性が高いこと、被告井上勝太は、伊勢崎オートレース場の清掃警備業務の辞退届を出す際、今後訴外会社をよろしく頼む旨記載するとともに、他の原告会社役員らにはからず、原告会社の廃業届を提出し、同年四月頃、群馬県の警備会社のほとんどが同警備業協会に加入しているにもかかわらず、原告会社が訴外会社に社名を変更した旨、群馬県警備業協会に申告したが、訴外会社から同協会に加入する旨の申込みはなかったことなどの事情を総合すれば、被告ら三名は、遅くとも、昭和六二年二月頃には、原告会社警備員らを原告会社からいっせいに退職させて訴外会社に入社させ、これにより、原告会社が伊勢崎オートレース場建設協力に対する見返りとして伊勢崎市から受注していた同レース場の警備清掃業務を受注することを不能ならしめるとともに、原告会社にかわる同業務の受皿として訴外会社が市から同業務を受注することを計画したうえ、八木茂太らをして訴外会社を設立させるとともに、同社の警備業認定の申請するなどして、同計画を準備し、同社に警備業認定がされるや、原告会社警備員をホテル大宮に集めるなどして、同人らに原告会社を退社して訴外会社に入社することを決意させて、ほとんどの原告会社警備員に原告会社を退社、訴外会社に入社させ、原告会社の警備業務遂行を不能ならしめ、その結果、昭和六二年四月一日から原告会社の業務のうち、土地会社の道路工事現場の交通警備の業務を除く一切の業務を奪ったものとみるのが相当である。

これに対し、被告らは、訴外会社の設立の経緯について、訴外会社は、退職を控えた八木茂太らが、原告会社退職者の就職先となる会社を構想していたところ、株式会社かね光に、地元の伊勢崎市宮子町に大規模なレジャー・スポーツ施設建設する進出計画(「伊勢崎健康ランド建設計画」)があると聞き、計画がかなり具体化していたことから、訴外会社を設立したものであると主張し、また、原告会社警備員らの退職の経緯について、被告金子忠夫の突然の退職に引き続き被告井上利夫までもが原告会社を退職したことで、大きく動揺した原告警備員が、他の従業員にも働きかけて、一斉に退職届を作成していたところ、たまたま参加したホテル大宮での送別、慰労会で、被告井上利夫や被告金子忠夫が訴外会社に入社したことを聞いて、自分たちも右両名とともに訴外会社で働きたいと言い出し、宴会の席で、伊勢崎オートレース場の清掃警備業務を、原告会社に代わって訴外会社が受注すればよいなどという原告会社従業員らの声が自然に多くなり、一度に多数の従業員を抱えることになった責任の重さに耐えかねて、八木茂太は代表取締役を辞任し、被告井上利夫が代って代表取締役に就任し、原告会社従業員は訴外会社に入社することとなり、訴外会社は、伊勢崎オートレース場の清掃警備業務の清掃警備の受注を目指すようになったと主張し、証人菊池六郎及び被告ら本人の各供述中には、右の主張に沿う部分がある。

しかしながら、右各供述部分は前掲各証拠に照して信用することができず、他に右の主張事実を認めて前示認定を覆すに足りる証拠はない。

三  被告らの責任

前判示のとおり、被告ら三名は、いずれも原告の取締役であった、遅くとも、昭和六二年二月頃には、原告会社の業務の乗っ取りを計画し、訴外会社を設立させ、その計画を実行に移したのであるから、被告らの乗っ取り行為は、原告会社の取締役としての忠実義務及び競業避止義務に違反することは明らかであり、したがって、被告らは、商法二六六条一項五号、同条四項、二五四条の三、二六四条一項により、原告に対し、連帯して、原告が被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

四  損害の有無及び額

原告会社が、昭和五七年四月一日から昭和六二年三月三一日までの五年間、年平均二三六〇万三一八七円の利益を計上してきたことは当事者間に争いがなく、甲四四号証の一、二によれば、原告会社は、昭和六二年四月一日から昭和六三年三月三一日の一年間に、売上げについて九八二万四五五七円を、営業利益について三二五〇万五三二一円の欠損を計上したこと、昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日の一年間に、売上げについて四七一二万〇一一三円を、営業利益について二三九三万八四五一円の欠損を計上したことが認められる。

したがって、平成元年九月一二日、代表取締役を児島喜三郎として平成警備が設立され、同社が訴外会社に代って平成二年四月一日以降伊勢崎オートレース場の警備清掃業務を受注していることが認められるものの(乙二二号証の一、二及び弁論の全趣旨)、被告らの違法行為が存在しなければ、原告会社は、伊勢崎オートレース場警備清掃業務などの受注により、少なくともその主張の期間である二年間は、訴外会社に前記業務を奪われる前の五年間の一年間の平均利益である二三六〇万三一八七円をそれぞれ得られたはずであり、また、昭和六二年四月一日から昭和六三年三月三一日の一年間に三二五〇万五三二一円の欠損、昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日の一年間に二三九三万八四五一円の欠損をそれぞれ計上することはなかったはずであるから、右金額を合計した一億〇三六五万〇一四六円が、被告らの行為によって被った原告会社の損害と認められる。

被告らは、原告会社は自ら右清掃警備業務を辞退したのであるから、原告会社が主張する損害は、右業務辞退によるものであって、被告ら三名や訴外会社になんら帰責されるべき筋合いのものではない、また、警備員の退職後相当期間内に警備員を補充するなどしてその態勢を立て直すことをせず、経営努力を尽くさなかったため損害を被ったと主張するが、右の業務辞退及び警備員の未補完は、被告らが、オートレースが開催される昭和六二年四月二日の直前に、ほとんどの原告会社警備員を原告会社から退社させ、訴外会社に入社させ、原告会社の警備業務遂行を不能ならしめたものであるなど前記判示の経緯や、本件紛争の解決をめぐって双方の間で話し合い等がなされていたという経緯(乙六の二、七の二)によるものであり、原告は、被告らの行為によって右のような措置をとることを余儀なくされたものというべきであるから、被告らの右の主張は採用することができない。

五  結論

以上の事実によれば、取締役の忠実義務違反及び竸業避止義務違反の債務不履行による損害賠償請求として、被告らに対し、連帯して、一億〇三六五万〇一四六円のうち一億〇三五五万〇一四六円並びにうち五六一〇万八五〇八円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和六三年七月一二日から、うち四七五四万一六三八円に対する請求の趣旨拡張の準備書面送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成元年一一月一五日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は理由がある。

よって、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口忍 裁判官高田健一 裁判官鈴木正弘)

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